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(32)石油危機・燃油高騰
1973(昭和48)年12月、東京・コープビルにおいて、全国の漁連、指導連、信漁連の各会長、ならびに共済組合の各組合長らによる合同会議が開催され、「昭和49年度政府予算編成に関する要望書」および「漁業用石油、資材の確保に関する決議」が採択された。1973年の石油問題、物資の不足問題は、漁業操業に大きな支障を来たしつつあった(拓水208号)。
1973(昭和48)年秋の第4次中東戦争を契機に巻き起こった「石油危機」は、全世界にエネルギー恐慌を招き、石油自給率がゼロに近い日本の立場はひときわ苦しいものとなった。1973年末にOPEC(石油輸出国機構)が対日供給緩和を発表したものの、1974(昭和49)年1月の原油価格は前月の2~2.5倍となり、同年2月以降の石油製品の大幅な値上がりは必至の状況にあった。県漁連では、本県漁業者への安定供給を確保するため、石油元売業者との緊密な連携を取り交渉を重ねたうえで、次のとおり対応を決定した。①供給制限と消費節約についてのお願い、②買占め防止のお願い、③価格の改定(値上げ)のお願い、④ドラム缶詰品出荷についてのお願い、の4点である。県漁連は会員・所属員に対し、理解と協力を求めた(拓水208号)。
1974(昭和49)年3月発行の拓水210号で、県水産課が兵庫県漁船用石油需給協議会の設立を報告した。これは、政府が漁船用石油の適正な必要量の確保と末端への円滑な供給を行うために定めた「漁船用石油の確保と円滑供給に関する特別措置実施要領」に基づく措置であった。協議会の会長には県水産課長があたり、委員には国・県下3漁連・県石油商組合・石油連盟大阪支部の担当者が就任した。この協議会は、漁船用石油に関する種々の対策の処理を目的とした。
1980(昭和55)年4月発行の拓水283号には、第2次石油危機のその後の見通しが示された。これによると、第2次石油危機は、1979(昭和54)年1月のイラン革命によってイランの原油生産が中断したこと、さらにはOPECが1978(昭和53)年12月の総会で、1979年中に4段階の原油の値上げを決定したことによって巻き起こされた、と記している。サウジアラビア産の原油価格は、1978年末の1バレル(約160ℓ)12.70ドルが、1980年1月には2倍の26ドルとなった。
イラン革命を背景に、原油価格が買手市場から売手市場に変わったことで、OPEC加盟の各国が、独自に原油価格を引き上げる状況が続いていた。当面の焦点は、OPECで統一価格の成立をめざすサウジアラビアの動向に向けられていた。
1981(昭和56)年5月、水産庁は「昭和56年度前期漁業用燃油対策特別資金融通助成事業実施要領の制定について」の農林水産事務次官通達を発出した。前期分は、56年度融資枠1,000億円のうち375億円で、残枠625億円は同年末に融資される予定であった。この事業は、漁業用燃油価格の高騰等が漁業者の経営に深刻な影響を及ぼしていたことから、これらの漁業者に対して、緊急に燃油等の購入資金を低利で融通した金融機関に、都道府県が利子補給を行う経費を国が助成するものであった(拓水298号)。
1996(平成8)年4月発行の拓水474号に、特石法(特定石油製品輸入暫定措置法)の廃止についての寄稿があった。これによると、戦後50年余にわたり、石油の安定供給に貢献してきた日本の石油業界が、1996(平成8)年3月末の特石法の廃止を契機に大きく変貌しようとしていた。特石法は10年間の時限立法として施行され、実質的に石油製品の輸入を石油元売会社に限定してきたが、これで石油製品の輸入が自由化されることになった。今後は、備蓄量など一定の要件を整えれば輸入可能となるため、異業種の参入を含め、石油業界はサバイバル時代に突入することが予想された。それまで、ガソリン収益に依存してきた石油会社は、安いガソリン製品の輸入に伴う収益の減少を、灯油・軽油・重油等の値上げで補う新価格体系を設定し、守りの経営姿勢に入った。
従来の価格体系は、1973(昭和48)年の第1次石油危機の際、石油市況の混乱を鎮静化させるために、国が油種ごとに行政指導価格(標準額)を定めたことに端を発した。すなわち、国は当時ぜいたく品と認識されていたガソリンの価格に、原油コストの上昇分を重点的に転嫁した標準額を定めたのであった。個別油種の価格に対する行政指導は1976(昭和51)年5月で終了したが、石油元売会社はその後も一貫して、ガソリン収益に依存した市況を維持した。
元売会社の新価格体系に対して漁協系統団体は強く反発したものの、軽油や重油は、石油元売会社から仕入れる以外に方法がなく、安定供給を確保するためには容認せざるを得なかった。
2008(平成20)年6月、(社)大日本水産会、JF全漁連など12業界団体は、緊急燃油対策会議を開催し、「燃油価格の高騰は漁業経営の限界を超えた」として、全漁船を対象に一斉休漁を実施することを確認した。この時の兵庫県内の燃油末端価格は、A重油が107円/ℓ、軽油が110円/ℓであった(拓水620号)。
2008年(平成20)年7月発行の拓水621号は、原油価格の暴騰により、全国の漁業・漁村では出漁断念や廃業者が出るなど、極めて深刻な状態となっていると指摘した。JF全漁連・(社)大日本水産会は、こうした緊急事態に対処するため、2008(平成20)年7月15日に東京で、3,000人規模の漁業経営危機突破全国漁民大会を開催することを決めた。さらに、燃油暴騰による漁業者の窮状を訴え、国に抜本的な対策を求めるために、同日を全国の漁業団体と漁業者の一斉休漁日と定めた。
2008(平成20)年6月、JF兵庫漁連の通常総会が開催された。2007(平成19)年度は、燃油高騰、養殖カキの大量へい死、ノリの色落ち拡大、ゴールドリーダー号沈没事故と、甚大な被害が重なった。2007年10月の理事会では、石油価格の凍結を決定、役員全員の強い決意で取り組んだが、決算では3億円を超える損失を計上した。JF兵庫漁連では、経営を立て直すために中期経営計画を策定、職員の大幅削減、組織体制の見直しを実施した(拓水621号)。
2008(平成20)年7月15日、東京日比谷公園野外音楽堂において「漁業経営危機突破全国漁民大会」が開催され、関係者3,600人(兵庫県から73人)が参加した。大会では、燃油価格暴騰対策に関する決議を採択、その後、霞が関の官庁街をデモ行進して窮状を訴えた(拓水622号)。
また、2008年7月15日には、日本の水産史上初めてとなる全国漁船20万隻の一斉休漁が実施され、兵庫県でも全漁船(約1万隻)が参加した。一斉休漁の模様は、新聞やテレビに大々的に取り上げられ、漁業者は燃油コストの上昇分を漁獲物の売価に転嫁できない弱い立場にあることが指摘された。同時に、国民の食糧自給には、水産業の保護・振興が欠かせないとの好意的な報道が相次いだ(拓水622号)。
2008(平成20)年7月、国の燃油高騰水産業緊急対策事業の骨子が発表された。支援総額は745億円であった。県とJF兵庫漁連ほか系統団体は、この事業を効果的に推進するため「兵庫県省燃油実証事業検討協議会」を設立し、今回新たに加わった「燃油実証事業」に優先的に取り組むことを決めた。また、事業主体となる漁協の事務作業を支援するために、JF兵庫漁連内に対策室を設置した(拓水622号)。
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