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(8)鮮魚流通(漁協共販)

1959(昭和34)年、県水産課に流通係が新設された。当時の県水産課長は、農林行政にもっとも欠けているものは、消費流通の仕事であると断言している。「生産から消費まで」を旗印に掲げながら、消費流通の仕事は全くの付けたしで、配給統制以外の施策はほとんど行われてこなかった、とも述べている。流通行政は、難しい要素が多く、役所は調査・勉強ができておらず、予算がとれなかったからである。水産庁においても、1958(昭和33)年にようやく流通調査の予算700万円がついたが、続く1959年度は若干の増額に留まった。県水産課長は続いて戦中戦後の農林行政についても触れている。当時は食糧増産が一大スローガンであったが、農業は今や、食料政策の見地のみに絞れば、米や麦などは外国から安価なものを輸入すれば良い。膨大な食糧増産費を農林予算に計上して猫の額のような国土に固執する必要はない。農村や農民の生活をどうするのか、という大命題が解決できないから、農政に重点が向けられているのである、と指摘した。

漁業についても、増産オンリーの時代は過ぎ、沿岸漁業対策で、幾多の難関にあえぎつつ、行政はその打開に苦慮しているという。兵庫県の戦後の漁獲高は年々増加し、1957(昭和32)年度は92,300tと、戦前、戦後を通じて最高となった。沿岸漁業の不振が叫ばれたが、獲れる魚介類の絶対量は減らなかった。しかし、漁獲物の組成を分析すると、タイ・サワラ・ハマチ等高級魚が明らかに減少し、イワシ・イカナゴ・イカ等の大衆魚の比重が増えた。日本海の中型底曳網漁業は、経営としては比較的安定していたが、漁獲の減少を労働の強化で補っている状態であった。県水産課長は、以上のような兵庫県漁業の状況をふまえ、今こそ「生産性向上」を考えるべき時がきたと述べ、ついては生産性向上の一手段として、消費流通の改善が必要であると、断言した。そこで、沿岸漁業者と共に、生産から消費までの一貫した行政の中心組織を持つために、流通係が新設されたのであった。流通係では、①流通加工についての調査、②共販と出荷体制の強化、③魚市場の指導、監督、金融、④多獲性魚対策と消費宣伝、⑤水産物の価格安定、⑥漁家の経営指導、をその主要所管事項とした(拓水30号)。

以上のことをうけて県水産課流通係は、1958(昭和33)年1月から同年12月までの1年間の流通実績調査を実施した。調査の目的は、漁業者の漁獲物の価格をいかにして維持安定させ、かつ新鮮で安い漁獲物をどうすれば消費者に喜んで食してもらえるかを研究するための基礎的資料を得ることで、その第一段階としての報告がなされた。県下94漁協のうち販売事業実施64漁協を対象に、漁獲物が漁協の共販を通じて、どのような用途で、どの方面に(仕向先)、どのくらい(金額)販売されたのかが調査された。なお、漁協共販を通さなかった分については、漁協から推定値の報告を受けた。その結果、取扱総額は34億8,400万円(82,000t)で、瀬戸内海側の魚は日本海側の魚に比べ単価が高く、高級魚が多いことが明らかとなった。仕向先としては県内向が62%で、そのうちの70%が生鮮食料向であった。県外向では、生鮮食料向が59%、加工向が39%であった。県内向生鮮食料向のうちの仕向先は、神戸、地元、明石、姫路の順に多く、県外向の60%は大阪に向けられていた(拓水34号)。

1958(昭和33)年7月、明石浦漁協の第二販売所が明石市銀座通りの海岸に開設された。従来からの販売所(第一販売所)は、事務所に隣接して設置されており、セリ参加人は約80名で、午前8時と午後2時半からセリが開かれた。ここに集まる買受人は小口が多く、30円・50円・100円の区分にまで漁獲物を小分けして、セリにかけていた。このためセリは午後6時まで続くことがあり、労力の加重や販売物の鮮度の低下に加え、高値を招くことがないセリになっていた。そこで明石浦漁協では、漁業者の収入を少しでも増やすために、販売の合理化による手取り金額の増大を目指し、大口買受人を対象にした卸売市場として、第二販売所を設けることを決めたのである。ただし、これまでも第一販売所のセリにかけずに、荷受会社に委託販売するルートがあったため、第二販売所の開設に反対する組合員もいた。

第二販売所では、明石浦漁協の総水揚高1億円の30%、3,000万円の販売が見込まれた。セリは午前6時と正午の2回開かれ、神戸や大阪方面からの買受人を含め、約60名がこれに参加した。第二販売所の開設によって、第一販売所ではセリにかけられる漁獲物の量が減ってセリの時間が短くなり、鮮度の低下が減少、魚価も前年より上昇した。

第二販売所のセリと従来の荷受会社への委託販売とを比較すると、1,000円の売り上げに対して、委託では手数料6%(60円)、箱代2個(20円)、漁協手数料3%(30円)で、漁業者手取りは890円となる。これに対して、第二販売所では漁協手数料3%(30円)のみで、漁業者手取りは970円であった。さらに、買受人から漁協に歩戻し3%(30円)が入った。これで、委託と第二販売所の差額は、1,000円の売り上げに対して110円となった。第二販売所が年間3,000万円を売り上げると、漁業者と漁協合せて、330万円の増収が見込まれた(拓水30号)。

1959(昭和34)年6月発行の拓水34号に、活魚販売するための魚の取扱い方法が紹介された。沿岸漁業者にとって、タイ・スズキ・サワラ・ハマチ等の高級魚は、漁家経営上重要な魚種であった。これらの高級魚を販売するのに最も有利な方法は「活魚」で販売することである、と指摘されている。魚の活きの良さとは、筋肉が生きている度合いを指す。魚の筋肉の中のミオシンというたんぱく質が、死後硬直の際アクトミオシンに変化し、同時にATP(アデノシン三リン酸)が減少することで、「活き」が低下する。硬直が完了した時に筋肉が最も固くなり、ATPはゼロになると言われている。すなわち、シメた後、硬直完了までの時間が長いほど、筋肉は良い状態で生きており、「活魚」として販売できる。シメ方については、筋肉運動をつかさどる神経の中心を切断するのが最も良い方法である。ここには色素細胞をつかさどる部分があることから、体色が鮮やかになる。シメた後は、氷で冷却するが、ポリエチレンなどのケミカルフィルムを利用し、氷と魚を遮断することも進められている。

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