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(34)200海里

1976(昭和51)年から1977(昭和52)年にかけて、世界のリーダー国である米・ソをはじめ世界各国が200海里漁業専管水域を宣言・実施したことから、世界の漁業情勢は「200海里時代」に入った。日本の漁業はこれまでにない危機にさらされていた。領海12海里について全漁連は、1977(昭和52)年1月に「即時宣言を求める決議」を採択し、政府に対して、①領海12海里宣言を即刻実施すること、②日本の200海里漁業専管水域の設定についても早急に検討準備に入り、万全を期すこと、を要求した(拓水245号)。

1977(昭和52)年1月、全漁連会長が農林関係団体首脳とともに、総理大臣と会見した。全漁連会長は、領海12海里については、総理の政治決断以外に即時実施はない、と強く申し入れた。また、日本の200海里漁業専管水域の宣言にあたっては、ソ連ばかりではなく、韓国・北朝鮮・中国との関係もあることから、慎重な配慮を求めた(拓水245号)。

1986(昭和61)年9月、東京・日本都市センターにおいて、「200海里全面適用早期実現全国漁業代表者集会」が開催され、①東経135度以西を含めた全水域の200海里設定、②韓国に対する水域法の適用、を決議した。さらに、特別決議として、①万全なる北洋漁業救済対策が国により遅滞なく講ぜられること、②米国の理不尽なニシン、スケトウ製品の輸入制限撤廃の申し入れを断固はね返し輸入制限枠を堅持すること、の2点を採択した。集会には全国から約500名、本県から5名の代表者が参加した。また、100万人の署名運動も、漁業者のみならず広く国民の賛同を得て目標を達成し、本県でも約3万人の署名を集めた(拓水361号)。

200海里全面適用 全国漁業代表者集会
▲200海里全面適用 全国漁業代表者集会

国連海洋法条約は、1958(昭和33)年から検討が開始され、1982(昭和57)年に採択されたが、条約の発効は60番目の批准書または加入書が国連事務総長に寄託されてから1年後と定められていた。日本は1983(昭和58)年に署名はしたものの、条約第2部の深海底資源開発制度の改善を求めて、米・英などの先進国と同様に、批准には至っていなかった。しかし、1994(平成6)年に深海底鉱物資源の取扱いが修正され、同年11月には60番目の加盟国が誕生してから1年が経過し条約が発効したことから、1996(平成8)年中に条約を批准する情勢にあった(日本は1996年6月に批准し、条約は同年7月20日に発効した)。

排他的経済水域は、沿岸国の主権的権利として、領海基線から200海里を超えない範囲内で設定することが認められている。日本は、1977年にソ連が一方的に設定した200海里漁業水域(漁業についてのみ沿岸国の主権的権利を認める水域)に対し、200海里の漁業水域を設定していたが、中国・韓国とは漁業協定に基づく関係が維持されていたこと等から、日本海西部・東シナ海等については設定せず、中国・韓国に対しては規制の適用を除外する暫定措置をとっていた。また、排他的経済水域を設定した国は、生物資源の漁獲可能量(TAC)の設定を義務づけられた(拓水472号)。

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