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(7)福利厚生

1956(昭和31)年10月発行の拓水3号に、飾磨漁協(現JF姫路市飾磨支所)の組合長が、「漁民に福利厚生施設を」と題して寄稿した。漁民に健康保険制度や福利施設等を設けることを求める内容であった。健康保険制度については、1956年の『厚生白書』によれば、当時の国民の1/3、約3,000万人が公的医療保険に未加入であったとされ、国民皆保険の達成が大きな課題であったことがうかがえる。2年後の1958(昭和33)年に国民健康保険法が制定され、1961(昭和36)年には国民皆保険が実現した。福利厚生施設について組合長は映画鑑賞を例にあげ、労働組合等がある会社員には、映画の割引券が支給されるのに、漁民は一般料金で鑑賞するしかない、同じ労働者なのに不公平であると意見を述べた。

1956(昭和31)年11月発行の拓水4号には、林崎漁協の理事が、1950(昭和25)年に同漁協が全国に先駆けて設立した健康保険組合と診療所について、経緯を報告するとともに、年金制度の導入構想を紹介した。それによると、林崎地区では戦禍によって家屋の8割以上が焼失した。復興途上の地区内では様々な疾病が広がり、それらへの対策が求められていた。一方、漁協も復興途上にあり、組合員の保健衛生面の支援はできなかった、としている。ところが、寄稿者の理事本人が入院を経験し、多額の医療費負担に驚いたことから、漁協に健康保険組合の設立を働きかけたのである。その後、同理事が中心となって、関係当局を訪問し、先進地を視察するなどして準備が進められ、1950(昭和25)年2月の同漁協通常総会において、満場一致の賛成を得て健康保険組合が誕生した。

林崎漁協では、冬の漁閑期対策として、毎年組合員の就労斡旋を行っていたが、1956(昭和31)年は、漁協が職安・市内事業所と直接交渉して成果をあげた。当時の林崎地区の漁業者は、毎年11月から翌年のイカナゴ漁までの約半年間は収入がなく、他に職を求めなければ生活ができなかった。前年までは、組合員の求職を漁協が側面から支援していたが、漁協が直接支援することになって、就労先の信用も高まり、常雇いされる者もあった(拓水7号)。

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