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(27)漁協合併(昭和の漁協合併)
兵庫県漁業協同組合連合会(旧県漁連)編(1954)『兵庫県水産沿革誌』(同会)によると、当時、兵庫県下には96の漁業協同組合(漁協)が存在していた。
拓水に漁協合併の記事が掲載されたのは、1959(昭和34)年10月16日に認可された神戸市西部漁業協同組合が最初である。神戸市の水産振興5ヵ年計画の一環として漁業協同組合の合併問題が協議されていたが、神戸市西部(駒ヶ林浦から舞子)の7漁協が合併し、神戸市西部漁業協同組合が設立された。
その後、1960(昭和35)年4月には、経営基盤がぜい弱な漁協に対し、合併等による経営改善を目的とした漁業協同組合整備促進法が施行されたが、拓水に関連記事はない。続いて1967(昭和42)年7月には漁協合併助成法が施行された。この法律は、経営不振漁協の立て直しの手段として合併を進めてきた漁業協同組合整備促進法に対して、健全な経営を維持している漁協が、さらに十分な事業活動ができるよう、経営基盤の充実を図るための合併を促進するものであった。県当局では、同法に基づく合併計画を策定し、1971年(昭和46年)3月までの4年間で漁協合併を推進する予定としていた。
1968(昭和43)年12月発行の拓水147号には、漁協合併促進法施行から1年数ヵ月を経ても、合併は実現しなかったが、1968(昭和43)年9月に入って、具体的な合併協議が始まった地域が出てきた、との報告がある。この報告の寄稿者は「現状に満足している、合併したら得になるのか」と合併に消極的な意見を掲げ、「合併は将来の漁民のためと考え、どのような合併を実現したら漁民に得になるのか考えて欲しい」と結んでいる。
合併協議が進展した地域をあげると、1969(昭和44)年1月発行の拓水149号に、4地区(五色町地区、一宮町地区、播磨町地区、香住町地区)で合併仮契約の調印が行われたことが報告されている。その他、神戸市東灘地区、浜坂町地区でも合併経営計画が知事の認可を得る見込みである、と記されている。しかし、拓水157号には「進まない漁協合併の悩み」が掲載され、漁協合併促進法の期限まで1年余りとなるなか、合併に至った地域は依然としてわずかなことから、県の合併計画に基づいた再度の協議が呼びかけられている。ここでは、合併が進まない理由として、組合員の熱意・組合員の理解(普及)・組合員資格・漁業補償・漁業権などに関する問題点が取り上げられている。
この間、高度経済成長を迎えた日本の産業は発展が目覚ましい一方、漁協系統を取り巻く社会経済的環境が厳しさを増す中で、漁協合併は停滞を続け、全国の合併参加漁協は240、兵庫県では13漁協に留まっていた。政府は、漁協系統が経済成長に取り残されないよう、経営基盤の強化と効率化を実現するため、1971(昭和46)年4月に漁協合併促進法をさらに強化のうえ施行した。同時に水産庁長官通達が示され、県知事に対して市町村ならびに漁協系統機関を指導し、県レベルに漁協系統機関を主体とする合併促進会議を設置して、合併計画の策定と合併推進の実施に当るよう求めた。そこで、旧県漁連・兵庫県信漁連が協議を重ね、1972(昭和47)年1月「兵庫県漁業協同組合合併促進会議」を設置し、漁協系統と県当局が一体となって、漁協合併の促進を図ることとなった。
1972(昭和47)年2月発行の拓水186号には、1970(昭和45)年度に県水産課が実施した漁協現況調査の記事がある。同年度末の沿海地区漁協75のうち経済事業活動が可能な出資漁協73の結果が示された。経済事業の実施状況では、販売事業は60漁協、購買事業は45漁協、信用事業は54漁協が実施したが、全体の2割程度は経済事業を実施せず漁業権管理団体的な漁協であること、また事業実施漁協であっても経営規模が小さいことが報告され、組合員を支援するためには、合併による規模拡大が必要であると結んでいる。
1972(昭和47)年12月発行の拓水195号には、同年10月、摂津地区東部の6漁協(尼崎・尼崎西部・西宮市・芦屋・神戸市東部・東神戸)が、海域の埋立造成等のため一切の漁業権を放棄し、漁協を解散した記事が掲載されている。
その後1974(昭和49)年8月には、浜坂町地区の浜坂・諸寄・居組の3漁協が合併して、組合員数687名・水揚高16億4千万円の大型漁協、浜坂町漁協が誕生した。1969年(昭和44)年1月の合併経営計画の策定報告から、5年以上にわたる協議を経て、合併が実現したのである。
さらに、1981(昭和56)年5月に淡路町地区の淡路町岩屋・岩屋共栄の2漁協が合併して、淡路町漁協が誕生した。両漁協はもともと1つの組織であったが、1949(昭和24)年に意見対立により分裂した経緯があった。漁協合併は両漁協と町にとって永年の懸案であったが、1980(昭和55)年2月に合併仮調印を行い、翌春の合併となった。淡路町漁協の組合員数は469名で、兵庫県瀬戸内側で最大規模の漁協となった。
この後、県内の漁協合併は、2002(平成14)年5月の姫路市中部漁協の誕生まで、22年間実現しなかった。
関連ページ
- 神戸市西部漁協発足 1959年10月
- 漁協合併助成法成立へ
- 漁協合併助成法説明ブロック会議 神戸市で開催 1967年7月24日施行
- 漁協合併の現状 合併助成法の施行から1年以上 その間の合併はゼロ
- 合併情報 仮契約調印終了 五色町・播磨町・一宮町・香住町・浜坂町
- 進まない漁協合併の悩み 合併助成法の期限まで1年余り
- 系統内に「合併促進会議」の設置が検討される 水産庁長官通達が知事に
- 兵庫県漁業協同組合合併促進会議を設置 1972年1月
- 摂津地区東部6漁協が海域の埋立造成等により一切の漁業権を放棄し解散した
- 浜坂地区の浜坂、居組、諸寄の3漁協が合併し浜坂町漁協が誕生した
- 淡路町岩屋漁業と岩屋共栄漁協が合併し淡路町漁協が誕生した