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(30)水銀・PCB対策

1968(昭和43)年、北九州市の食品メーカーが製造した食用油にPCBが混入し、これを経口摂取した福岡や長崎の住民が、肌の異常・頭痛・手足のしびれ・肝機能障害などを発症した。この「カネミ油症事件」が発端となり、政府は1972(昭和47)年にPCBの製造中止を決め全面回収を指示、同時に、各地でPCBを含む工場排水等が海に放出されている実態を踏まえ、工場近接海域等において国による全国一斉の底質調査が実施された。1972(昭和47)年7月17日、全国79水域でPCBの除去が必要との結果が公表され、本県では高砂西港の底質土砂が汚染されていることが明らかとなった。

同時に政府は魚介類の水銀汚染の状況を公表し、さらに兵庫県が魚介類のPCB汚染の実態を公表したことから、本県の沿岸漁業者は魚価の下落などの大打撃を受けた。特に、高砂市にはPCBの生産工場が立地していたこともあり、汚染地区内・地区外に関わらず、全ての水産物の価格が暴落した。

PCB汚染魚葬送
▲PCB汚染魚葬送

こうした中、同年8月24日に厚生省が、食品中に残留するPCBについての暫定的規制値を設定し、内海内湾魚介類(可食部)については3ppm以下とした。

続いて1972(昭和47)年12月に、環境庁・農林省および県は、全国14水域の魚介類で、暫定的規制値を超えるPCBが検出されたことを公表した。これを受けて水産庁では、これら14水域を要精密調査地域に定め、関係都道府県が調査を実施して、汚染魚介類の種類と汚染水域を定め、暫定的規制値を超えた魚介類が食用に供されないよう、自主規制を指導することとなった。

精密調査の結果は、1973(昭和48)年6月4日に国が、翌6月5日には県が公表した。播磨灘沿岸では高砂市地先500m以内のボラ・コノシロ・スズキ、姫路市白浜地先500m以内のコノシロ・スズキに汚染が広がり、暫定的規制値を超えた検体が20%以上となった、とマスコミが大きく報道した。

1972(昭和47)年7月の結果公表以来、業界あげて「PCB汚染調査結果の発表に当たっては、被害者救済策を同時に明示せよ」と要望を続けてきたが、政府はこれを無視して調査結果のみを公表した。その結果、全国各地で魚価が暴落した。本県においては姫路・高砂・神戸沖の3水域で自主規制(休漁)を実施したが、影響はさらに拡大し、但馬を含む本県全海域で魚価暴落により操業停止となった。

このため、全国の漁民は未曽有のパニック状態に陥り、全国各地で漁民による企業への乱入や、海上封鎖事件が発生するなど危機的状態を呈した。

本県においても、1973(昭和48)年6月8日、高砂・白浜沖の汚染海域で6月4~6日に獲れた魚約400㎏を、漁業者が高砂市のPCB製造会社の空き地に持ち込み、ドラム缶にコンクリート詰めした後、土中に埋めた。その後も冷蔵庫に保管した汚染魚を5日ごとに処理し、約40tを土中に埋める結果となった。

淡路地区漁民は高砂西港を海上封鎖し、PCBの製造を行った企業に抗議行動を行うなど、連日にわたって混乱した(兵庫県漁業協同組合連合会・兵庫県信用漁業協同組合連合会編(1979)『水協法施行30周年記念 兵庫県漁協三十年の歩み』(同両連合会)より)。

赤潮・PCB・カドミウム汚染といった恐ろしい公害に対して、政府の無策・企業の無責任な状況を打破し、漁業被害救済制度の確立・瀬戸内海環境保全法の制定などを求め、以下のとおり、瀬戸内海・本県・全国の漁民が次々と決起大会を開催した。

1973(昭和48)年3月27日、明石市民会館において、「公害企業の立地を禁止せよ」「瀬戸内海環境保全法を制定せよ」など8本のスローガンを掲げ、瀬戸内海12府県30万漁民の代表者1,800名が結集し、「公害絶滅瀬戸内海漁民総決起大会」が開催された。

公害絶滅瀬戸内海漁民総決起大会
▲公害絶滅瀬戸内海漁民総決起大会

同年6月21日、明石市民会館において「公害危機突破兵庫県漁民総決起大会」を開催、県下漁民代表2,200名余りが参加し、「魚介類の安全性を即時明確にせよ」「漁獲規制は国の責任で措置せよ」など、8項目の大会決議を国、県に要求することを決めた。

同年7月6日には東京九段会館において「公害被害危機突破全国漁民総決起大会」が開催され、全国から漁業者代表2,000名余りが参加して、政府・企業の責任を糾弾した。

こうした漁民の活動が、1973(昭和48)年10月の瀬戸内海環境保全臨時措置法、さらには1978(昭和53)年6月の恒久法、瀬戸内海環境保全特別措置法の制定につながったのである。

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