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(19)ズワイガニ資源

1956(昭和31)年12月発行の拓水5号に、香住町漁協参事の松本卓三氏が随筆「松葉蟹」を寄稿している。当時、ズワイガニの生産地は、宣伝効果によって城崎温泉・湯村温泉であると一般的には意識されており、香住や柴山はカニには縁がないと思われていたという。また、当時の漁場は兵庫県沖のほか、島根・山口県沖であったが、島根・山口の漁船はズワイガニを漁獲対象としておらず、獲れても棄てていたと記している。戦中戦後の統制時代には、漁船は漁獲高に応じて燃料の割当を受けていたが、ズワイガニは贅沢品として燃料の割当対象から除外され、船型の関係でカニを獲らざるを得ない一部の漁船は、燃料確保に苦労しながら、ズワイガニ漁を続けていた。

1976(昭和51)年5月発行の拓水236号は、激減が続くズワイガニ資源の回復を図るため、当時の津居山港漁協が専用の魚礁として、廃船になった鋼船を津居山港沖27㎞・水深230mに沈めたと記している。1975(昭和50)年11月の漁期は、漁獲量が1,359tと前漁期から23%の減少、ピークであった1970(昭和45)年に比べると1/3に激減した。

沈船魚礁設置
▲沈船魚礁設置

県但馬水産事務所水産課が、1985(昭和60)年から4ヵ年計画で、大和堆に生息するズワイガニを、但馬沖24㎞に沈船によって造成した保護区域に移殖放流する事業が実施された。費用の一部は、県底曳網漁業協会が負担し、1985(昭和60)年・1986(昭和61)年の2年間で、41,211匹を放流した。1986(昭和61)年の放流前の保護区域における状況調査では、51籠で206匹、1籠あたり4匹のズワイガニが採捕された。操業が禁止されている大和堆では、1籠あたりの採捕数が156匹にのぼったという。なお、1985(昭和60)年の兵庫県のズワイガニの漁獲量は720tであった(拓水363号)。

1990(平成2)年5月発行の拓水403号には、県底曳網漁業協会が北海道産のズワイガニを、但馬沖24㎞の保護水域へ放流した記事が掲載された。1990(平成2)年4月~5月に稚内で水揚された約1万尾を、移殖放流する予定であった。その後も数万尾を目標に移殖放流を続けたいと結んでいる。なお、1989(平成元)年の兵庫県の漁獲量は419tであった。

1991(平成3)年2月発行の拓水412号には、県但馬水産事務所が1985(昭和60)年から続けている、大和堆からのズワイガニ移殖放流事業の経過が報告された。大和堆での採捕数については、当初3年間は1籠当たり79.6~155.8匹で、但馬の保護区域に比べて高密度に分布していた。その後1990(平成2)年までの3年間は、3.4~22.5匹と減少した。大和堆では1988(昭和63)年頃から、外国の大型漁船によるトロール操業がしばしば目撃されるようになった。一方、但馬の保護区域での採捕調査では、放流前が0.7匹であったものが1989(平成1)年には16.3匹と増加したものの、翌年には1.4匹に減少してしまった。原因は不明とされた。

1992(平成4)年3月発行の拓水425号には、ズワイガニの水揚量が減少する中で、カニの分布状況に変化が生じてきたという漁業者の報告を受けて、1990(平成2)年に県但馬水産事務所が調査船「たじま」による試験操業で採捕したズワイガニの分布状況が報告されている。分布密度の低下や漁獲対象個体の減少は顕著であるものの、成長段階での棲み分けの傾向は過去の調査と同様であった。また、現在の資源状態については、小型個体の出現が認められることから、急激な減少はないと考えられるが、1988(昭和63)年現在の漁獲強度で操業を続けた場合は、1994(平成6)年の漁獲量は雄では79%に、雌では60%に減少するという結果が示された。

県水試は、ズワイガニ資源の回復を図るため、1990(平成2)年度から10年計画で種苗生産の研究に取り組んできた。1989(平成1)年から親ガニの飼育を開始し、1990(平成2)年~1991(平成3)年は親ガニの養成と産卵の最も適した条件の把握を目的に、飼育水温別の親ガニの生残率、ふ化幼生数、及びふ化幼生のサイズなどを検討した。その結果、海水温5℃での飼育が適当であることが判明した(拓水438号)。

兵庫県のズワイガニの漁獲量は、1970(昭和45)年頃までは全国3位、5千tの水揚を誇っていたが、その後減少を続け1988(昭和63)年を境に、石川県、福井県、鳥取県に追い抜かれ、1992(平成4)年の漁獲量は約300tにまで落ち込んだ。ところが、1995(平成7)年11月~1996(平成8)年3月の漁期において、漁獲量が403tとなり、5年ぶりに400tを超えて好漁となった。ズワイガニの資源回復を図るため、沈船魚礁による保護区域を設け、大和堆や北海道からの移殖放流を実施したことや、漁期の短縮や若齢ガニの再放流等に取り組んできた成果が現れ始めたと考えられた(拓水473号)。

1998(平成10)年11月から翌年3月までの漁期において、ズワイガニの漁獲量が15年ぶりに1,000t台に回復した。ただし、漁獲の主体が雌ガニや水ガニに偏っていて、漁獲金額が頭打ちになっていたことから、県但馬水産事務所から水ガニの漁獲管理についての提案が示された。まず、これまで雄ガニは生涯成長を続けると考えられてきたが、1998年時点で、雄にも性成熟を伴う生涯最後の「最終脱皮」が存在することがわかったことから、最終脱皮から1年以上経過したものを「かたガニ」、漁期直前に脱皮したものを「みずガニ」と定義づけた。そして「水ガニ」の漁獲管理として、①身入りを考慮して漁期を遅らせる、②水揚サイズを現行の甲幅9㎝からさらに大きくする、といったアイデアのもと、今後も漁業者と共に資源管理について検討していきたいとの意見が示された(拓水511号)。

ズワイガニの漁獲量は、1999(平成11)年11月~翌年3月の漁期において1,229tとなったが、そのうち雌ガニが46%を占めたことから、近年の雌ガニ漁獲割合の増加状況に警鐘が鳴らされた。雌の生活史をみると、成長した雌ガニは夏~秋に最終脱皮を行って成体となり、数日のうちに交尾して第1回目の産卵(抱卵)を行う。幼生は産卵から1年半後の2~3月にふ化する。幼生がふ化してから10日前後で、雌ガニは2回目の産卵を行う。2回目以降の産卵からは、幼生のふ化に要する期間が1年となり、生涯産卵回数は3~5回と考えられた。

なお、第2回目以降の産卵直前の交尾の必要性については、議論がある。雌ガニは抱卵している外卵がいらんの色によって、アカコとクロコに呼び分けられている。これは、産卵直後の外卵はオレンジ色をしているが、ふ化半年前の秋以降に卵内で幼生の発生が進んで、次第に黒みを帯びてくるためで、外卵がオレンジ色をした雌ガニをアカコ、茶褐色から黒紫色をした雌ガニをクロコと呼ぶのである。したがって、漁期中(11月上旬~翌年1月上旬)に漁獲されるアカコは、全て第1回目の産卵をした雌ガニであるといえる。1999年当時、アカコは自主規制で採捕を禁止していたが、翌年の漁期には漁獲対象になった。漁獲されたクロコの大半は、前年アカコであったカニで、これらは一度も再生産に加わることがなく一生を終えたことになる。そこで、県但馬水産事務所から、混獲されたアカコは、少なくとも1回は再生産に加わることができるように、保護水域に放流するべきであるとの提案がなされた(拓水530号)。

拓水535号には、1993(平成5)年4月発行の拓水438号で紹介された、ズワイガニ種苗生産試験の続報が掲載された。①ふ化したズワイガニの幼生が稚ガニになるまでには60~80日を要すること、②幼生の飼育には水槽内のゴミを取り除くことがポイントで、ゴミが幼生に付着すると死亡しやすいことが報告された。これらの課題を克服しなければ、大型水槽で大量の稚ガニを生産することができないと考えられたのである。

種苗生産試験によるズワイガニの稚ガニ
▲種苗生産試験によるズワイガニの稚ガニ

拓水728号には、当時の県水産課長から、ズワイガニの増殖場設置の経緯が報告されている。それによると、およそ20年前(1987年頃)に、香住沖にズワイガニの増殖場の設置を水産庁に要望した際、当時の漁場整備は沿岸漁場整備開発事業で行われていたため、沖合の整備は対象外であった。しかし、あきらめきれず、香住から寝台列車で水産庁へ向かい、担当班長に熱心に要望したところ、1年遅れで特例的に事業化が認められ、増殖場を設置することができた。同時に、山陰北陸の各府県においても一斉に整備が進み、その後も複数県で沖合漁場整備を国に要望した結果、2007(平成19)年にフロンティア漁場整備事業が創設され、20年来の願いが実現した。

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