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(12)3漁連合併
1948(昭和23)年12月に水産業協同組合法が公布され、これに基づき兵庫県水産業会は解散・清算し、1949(昭和24)年11月に但馬漁業協同組合連合会(以下、「但馬漁連」という)と兵庫県内海漁業協同組合連合会(以下、「内海漁連」という)が新たに設立された。これら2漁連は、兵庫県水産業会の固定資産を引き継ぎ、購買事業(石油・資材供給)を中心に、経済事業を営んだ。また、兵庫県水産業会の債権債務の一切は内海漁連が引き継いだ。1951(昭和26)年10月には、県下一円にわたる指導事業を行う兵庫県漁業協同組合連合会(以下「旧県漁連」という)が設立された。
兵庫県水産業会の解散から、まず但馬漁連と内海漁連の2漁連が設置され、遅れて旧県漁連が設置された理由については、拓水364号の作花英治氏(元但馬漁連専務)による連載「漁協一代(その十七)漁連の十八年(一)但馬漁連とは?②」から知ることができる。これによると、兵庫県水産業会の会員であった各漁業会が、水産業協同組合法の施行によって、新しい漁業協同組合に生まれ変わる中で、但馬海区の漁協(当時9漁協)が上部団体の設立について協議した結果、「漁業基盤、漁民気質等が但馬と内海では全く異質であることから、県下一円を区域とする漁連は必要ない」との結論に達し、当時の県水産課長に強く要請した、とある。これを受けた県当局は、喫緊の要務である石油・資材の確保に当たらせるため、但馬漁連・内海漁連の設立を急ぎ、但馬・内海の両海区が高度の共通事項を処理する必要が生じれば、2漁連を会員とする漁連を設立すれば良いとの判断を下した。
こうして、経済事業を担う但馬漁連・内海漁連と、指導事業を担う旧県漁連の3漁連体制が始まった。
その後の3漁連合併の経過に関する報告が、1976(昭和51)年10月発行の拓水241号に掲載されている。これによれば、合併の目的が「今日の厳しい社会経済情勢の変化に対応しうる体制基盤を確立するため」と位置づけられ、1975(昭和50)年5月開催の各漁連の通常総会において、合併手続きを進めることが承認決定されたとある。
3漁連は、1975(昭和50)年7月、兵庫県漁協等合併推進協議会を立ち上げ、具体的な合併協議を開始した。3漁連の財務・運営実態の把握、合併に関する問題点の把握、持ち分の確認とそれぞれの課題の検討、合併基本構想の策定、合併後の普及推進等が協議され、1976(昭和51)年4月開催の第3回協議会で、基本構想の決定をみた。
これをもとに、3漁連は同年4月から淡路・摂播・但馬において地区別説明会を開催し、会員の賛同を得たうえで、1976(昭和51)年6月3日、3漁連会長が県水産課長立会いのもと、合併仮契約の調印を行った。こうして、同年9月1日に兵庫県漁業協同組合連合会(以下、「県漁連」という)が誕生した。
なお、1963(昭和38)年9月発行の拓水85号には、同年9月に内海・但馬両漁連の理事監事合同会議が開催され、内海・但馬両漁連合併促進委員会を設立、事務局は旧県漁連が担当し、1965(昭和40)年4月1日の2漁連合併を目指し協議が始まったとあるが、拓水には、合併促進委員会のその後の動向についての情報はない。