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(20)イカナゴ資源

1982(昭和57)年3月発行の拓水306号の「水試ノート⑩」で、瀬戸内海のイカナゴが紹介された。それによると、第2次世界大戦後約30年間の兵庫県瀬戸内海域における海面総漁獲量は5~7万t/年であったが、イカナゴがそのうちの1.5~3.8万t/年を占めた。イカナゴは兵庫県瀬戸内海域における重要魚種の一つで、県水試は1925(大正14)年から資源研究を行ってきた。1960(昭和35)年頃まで、鮮魚・加工品としての需要が高かった。その後の魚類養殖の増大により養殖餌料へと急速に変化した。こうした需要の変化によって、漁獲対象も小型魚(3~4㎝)から大型魚(4~8㎝)に、漁期も3~4月から5~6月へと移行した。漁法も、イカナゴ魚群の動きに消極的かつ多人数を要したこまし網から、積極的かつ省力的な船曳網へと変化した。イカナゴは養殖漁業に不可欠である一方、自然界においても中・高級魚種(サワラ、スズキ、マダイ、ヒラメなど)の餌料生物として重要魚種であった。漁獲量の80~95%は当歳魚(シンコ)で、毎年の発生量の多寡が漁獲量を決定した。県内のイカナゴの主たる産卵場は鹿ノ瀬から室津の瀬にかけてあったが、ここの産卵量だけでは、毎年の漁獲量の半数分程度しか期待できなかった。1960(昭和35)年頃から1970(昭和45)年頃に調査した結果、小豆島以西の備讃瀬戸で発生した稚仔が播磨灘に供給され、この発生群の量が兵庫県のイカナゴ漁を左右することがわかった。イカナゴの産卵期は毎年12月中旬から1月上旬で、鹿ノ瀬や室津の瀬で発生した稚仔は、その大半が明石海峡を経て大阪湾へ拡散し、備讃瀬戸周辺で発生した稚仔が播磨灘へと添加された。このようにイカナゴ(シンコ)が、それぞれの産卵場から東方へ拡散するためには、冬の季節風(西風)が連吹れんすいする必要があった。漁業者の諺に「西吹けばイカナゴ好漁」とあるのはこの事実を示唆し、「海中に浮泥多きときはイカナゴ豊漁」というのは、季節風の連吹による海水の上下混合が盛んであることを指摘したものである。これとは反対に、暖冬の年は季節風が弱く、産卵場からの稚仔の拡散範囲が狭くなって不漁となる。最後に、県水試の担当者は、イカナゴは底質の選択性が強く、貝殻混じりの砂質の「瀬」が産卵場として好適で、播磨灘でも備讃瀬戸でもこのような底質の場所が確保されていないと、発生量が低下することはもちろん、それを餌とする中・高級魚の資源に与える影響が大きくなることは否定できない、と指摘した。

イカナゴ漁
▲イカナゴ漁

1991(平成3)年9月発行の拓水419号の「水試ノート」に、「イカナゴと砂」が掲載され、まずイカナゴの生活史が紹介された。それによると、産卵は水温が13℃を下回る頃、時期的には12月中旬から下旬にかけて、海峡周辺など、底質が砂質で潮通しの良い所で行われる。卵は沈性粘着卵で砂地に産みつけられ、7~10日でふ化する。ふ化後は浮遊生活にはいり、全長30㎜に成長する2月の終わり頃から、船曳網で漁獲される。7月になると夏眠に入るが、水温は20.5~23℃で、その時の全長は90~100㎜、場所は産卵場と同じ条件の所と考えられた。海水温が13℃を下回る12月中旬には夏眠を終了し、ほぼ一斉に遊泳状態となる。このように、満一歳を迎えたイカナゴのほとんどは成熟して産卵に加わった。寿命は4~5年と推定された。

次に、産卵場についての紹介がある。瀬戸内海東部のイカナゴの主要産卵場として、前述のように鹿ノ瀬と室津の瀬があげられる。県水試の1966(昭和41)年の産卵場調査によると、姫路の地先にも産卵場が存在していたが、1991(平成3)年時点ではそこに産卵場となるような砂地はほとんどなく、稚仔の発生も確認されなかった。県水試では夏眠の期間と水温を明らかにするために、2年間にわたる飼育試験を実施した。その結果、夏眠に入る水温は1年目が22.0~23.0℃で、2年目は20.5~21.5℃であった。このため、水温以外にも夏眠に入る時期を左右する要因があると推定された。一方、夏眠を終了する時期についてはいずれも水温13℃で、鹿ノ瀬での採集調査でも13℃を割ると夏眠を終了することがわかった。夏眠期間中のイカナゴの行動について、飼育試験下の観察では、砂から外に出た気配はなかった。すなわち、この間全く餌を摂らずに砂の中でじっとしていた。また、12月に入ると生殖腺が急激に膨らみはじめ、夏眠終了時には産卵直前の状態にまで発達すると判断できた。イカナゴにとって、夏眠は高い水温を避けるだけではなく、産卵の準備期間でもあった。

次に、イカナゴの夏眠場、産卵場が海峡周辺の限られた場所に集中していることから、イカナゴが特定の底質を好むことを示唆しているのではないか、と考えられた。そこで、底質選択制について実験を行ったところ、粒子径が0.5~2.0㎜の砂を好むことがわかった。その理由は明らかではないものの、砂に対する潜りやすさや、間隙水を通しての酸素供給と深く関わっていると推定した。最後に、イカナゴは漁期中は広く分布するが、夏眠・産卵時期には限られた海域の砂地に集中することから、イカナゴは環境の変化を受けやすい、したがってイカナゴが好む砂地の保護が極めて重要である、と述べている。

1997(平成9)年4月発行の拓水486号の「水試ノート」に、「イカナゴの生態からみた終漁日の推定」が掲載された。それによると、鹿ノ瀬の夏期の生息密度は減少傾向にあったが、1995(平成7)年生まれの個体数が極端に少なかったため、それらのイカナゴが親となった1996(平成8)年の漁期において、将来の資源に悪影響を及ぼさないよう、適正な数の親を残すための終漁日の設定が重要であるとの指摘があった。そこで、1996年4月に兵庫県播磨灘船曳網漁業連合会において、終漁日の話し合いが行われた際、県水試の担当者が鹿ノ瀬における親魚の現状を説明し、計算に基づく終漁日を提案した。その結果、平年より早い、1996(平成8)年4月27日が終漁日となった。

1996年のイカナゴ漁期の水揚状況を大阪湾と播磨灘に分けてみると、大阪湾の漁獲は3月中旬から急激に減少して4月上旬には終漁したのに対し、播磨灘では極端な減少はみられず、4月上旬には水揚量が急激に増加していた。これは魚体が大きくなったことも影響しているが、魚群が特定の海域に集まり、漁獲されやすくなったためではないか、と指摘している。すなわち、漁期当初、イカナゴは兵庫県の瀬戸内海全域に分布するが、4月上旬頃、多くが夏眠のために大阪湾から鹿ノ瀬周辺海域に戻ってくると推定された。最後に、県水試担当者は、今後はこうしたイカナゴの生態に基づいて終漁日を設定することで資源管理に役立てたい、と述べた。

1998(平成10)年7月発行の拓水501号の「水試ノート」に「イカナゴの価格変動」が掲載された。1998(平成10)年における兵庫県内のA漁協の、イカナゴの漁獲量と平均単価の推移に、シンコの成長も加えた価格変動についての報告がある。漁獲量と平均単価の関係では、漁期当初を除いて、1日の漁獲量が2,000籠を超えると単価が下がり、下回ると単価が上がった。シンコが成長して、平均全長が60㎜を超えた4月14日以降は、漁獲量に関係なく、単価が1,000円/籠と極端に安くなった。これは、60㎜を超えたイカナゴは、生売りや加工原料に使われず、餌料用となるためであるという。県水試担当者は、A漁協の事例は他でも同じ傾向にあると思われるため、操業の参考にしてほしい、と述べている。

2008(平成20)年4月発行の拓水618号の「ウチの漁協!」でJF育波浦が紹介された。兵庫県はイカナゴの産地として全国的に有名であるが、中でも育波浦はいち早くイカナゴ漁に取り組み、兵庫のイカナゴ漁発祥の地として歴史に名を刻んでいる。同じ漁船を用いて3~4月にはイカナゴ、5~11月にはチリメンを水揚した。対象魚種を変更する場合、魚種にあわせて網を付け替える必要がある。育波浦の漁業者は、代々この網を一本の糸から手造りで仕立ててきた。育波浦の隠れた名物に「フルセ」がある。フルセはイカナゴの成魚のことで、新鮮なフルセは刺身やてんぷらなどにして食べると絶品であることから、組合が販売強化を検討していた。

2020(令和2)年のイカナゴシンコは、大阪湾・播磨灘ともに2月29日に解禁となったが、初日に水揚のない港もあるなど、スタートから厳しい状況となった。大阪湾では、漁獲量が非常に少ないため、3月2日に終漁した。播磨灘でも3月6日の午前9時をもって終漁となり、休漁日を除くと漁期は実質5日間で、過去最短となった(拓水761号)。

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