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(22)ワカメ養殖

1958(昭和33)年5月発行の拓水21号には、淡路岩屋地区で行われていたワカメ増殖事業を、町産業改良普及嘱託員が紹介した記事がある。当時の増殖方法として、岩礁爆破・成実葉せいじつよう(通称メカブ)の投下・遊走子ゆうそうし付け網・雑草除去などがあったが、近年は人工採苗による種付け投石・遊走子付け網投下・磯掃除等が広く行われているとし、その方法が詳しく解説されている。

北淡町の富島地先では、1956(昭和31)年に富島漁村青少年クラブが、冬期の漁閑期対策としてワカメ礁の投石を行ない増殖を始めたことがきっかけとなって、地元漁民の間に増殖熱が高まった。町が県の補助を得て1957(昭和32)年、1958(昭和33)年と続けてきた努力が実を結び、1959(昭和34)年、富島はワカメブームに沸いた。収穫には、「新兵器」と称する棒鋼ぼうこう製のけたを使って漁場を曳き回し、ワカメをむしり取るという方法が採用された。県水試は、この好況を持続させるためには、ワカメ資源の維持管理、および干しわかめ製品の規格の統一と品質管理が必要であると呼びかけた(拓水33号)。

1962(昭和37)年11月発行の拓水75号には、県水試が初めて培養管理したワカメ養殖用種糸たねいとの沖出し育成試験を、県下各地で普及員および漁業者の協力によって行うことを発表した。県水試の技師は、この沖出し育成試験の結果をみて、養殖の可能性を確信するに至ったという。そこで、養殖を希望する漁業者のための参考資料として、ワカメ養殖の技術を紹介した。1963(昭和38)年4月・5月発行の拓水80号・81号にはワカメの生活史、養殖方法、養殖業の収支見込が、いずれも図表や詳細なデータを用いて具体的に示されている。

1964(昭和39)年2月発行の拓水90号では県水産課の技師が、軌道に乗ったワカメ養殖業によって大量に水揚されるようになった、ワカメの販売・流通の取組を紹介した。1964(昭和39)年漁期において、13漁村の研究団体が4月までに水揚する養殖ワカメは、生換算で180tに達する見込みで、販売・流通対策が課題となったのである。県水産課が急きょ市場調査を行ったが、産地としては垂水以外の浜は新規に参入したばかりで、生で売るのか干しわかめで出荷するのか、産地名をどうするのかなど未解決なことが多く、調査結果は悲観的であった。そこで種々検討を重ねた結果、それまでになかった、養殖ワカメのポリ袋詰出荷を林崎漁協が行うことになった。組合長が組合内をまとめあげたのである。県は新聞・テレビ・ラジオを使ってこの取組をPRした。1964(昭和39)年2月1~5日は姫路市場、2月6~8日は京都市場へ、200g詰めを中心に全部で1,433袋を出荷した。

生わかめポリ袋出荷:JF林崎
▲生わかめポリ袋出荷:JF林崎

生わかめのポリ袋出荷の経緯と結果、今後の課題については、県水産課調整係が1964(昭和39)年11月発行の拓水98号で詳細に報告している。まず、明石海峡周辺でのワカメ養殖は、県水試の指導のもと、1962(昭和37)年から1963(昭和38)年にかけて、神戸市塩屋、垂水の両地区で始まった。その結果を見た漁業者は、ワカメ養殖が極めて有望であるとして、新規導入への意欲が盛り上がった。そして次の漁期にあたる、1963(昭和38)年秋の沖出しでは、明石市を中心に、種糸約50,000mに及ぶワカメ養殖が行われることになった。販売方法も検討した結果、天然ワカメより2ヵ月早く出荷できる点を活かして、1月下旬~3月中旬は生わかめとして、天然物が出回る3月下旬からは、干しわかめに加工して販売することが決まった。1965(昭和40)年1月に開催された青壮年研究グループの実績発表大会で、塩屋水産研究会が「ワカメ養殖について」を発表した。塩屋地区では、投石を行っても海底に埋没してしまい、天然ワカメが発生しないので、研究会が中心となって1959(昭和34)年からワカメ養殖に取り組んだ。当初は失敗したが、その後も研究と改良を重ね、1963(昭和38)年にようやく見通しがついた(拓水101号)。1966(昭和41)年1月に開催された、第14回兵庫県内海地区漁村青壮年研究実績発表大会では、東垂水地区水産研究会が「ワカメ養殖経営上の問題点について」を発表した。販売面では生わかめと干しわかめではどちらが有利になるのか分からない、収支面ではワカメ養殖に従事する日の一人当たりの純益が780円で十分とはいえないなど、1961(昭和36)年から続けてきたワカメ種糸の培養と養殖の経験に基づいて、経営上の課題が報告された(拓水113号)。

1966(昭和41)年2月には、淡路島内のワカメ養殖漁業の課題について検討する技術者連絡会が開催された。同年の淡路島のワカメ養殖量は種糸で約34,000m、そのほとんどが中層延縄式の施設であった。このうち施設の設置状況が比較的良いものが20,000mで、改良を要する施設が14,000mにも及んでいた。また、この年の種苗の状態について、芽付きが悪い、生長が遅い、芽落ちがある、雑草が多く混じるなどの課題が指摘され、良い種苗を確保するためには、自家採苗以外に方法はないと結論づけた(拓水115号)。

1966(昭和41)年5月発行の拓水116号には、1965(昭和40)年に県水試がワカメの採苗に関して実施した試験の結果に基づき、種糸の材質・太さ・撚り、アク抜きの必要性、採苗の時期や県産種苗のあっせん方法などが紹介されている。また、1966(昭和41)年7月発行の拓水118号では、夏場に休眠中のワカメ種苗を管理するポイントが紹介された。続いて県水試は、11月初旬の「沖出し」を行うため、9月中旬の休眠明け以降の養殖技術を紹介した。養殖ワカメを天然ワカメよりも早く生産するため、芽胞体がほうたいの発芽を促進する方法や、養殖施設の構造や設置場所について、具体的に解説している。県水試が促成栽培し、12月下旬に収穫可能なワカメ種苗も紹介された(拓水120号・121号)。

1967(昭和42)年8月発行の拓水131号では、県洲本農林水産事務所が、淡路のワカメ養殖の現状と今後の方向を示した。淡路島におけるワカメ養殖は、1961(昭和36)年に、阿那賀あなが漁協の4Hクラブが漁協の委託を受け、試験養殖を行ったことに始まり、1964(昭和39)年までに淡路町、南淡町へ、さらに1965(昭和40)年には洲本市、津名町、東浦町、1966(昭和41)年には北淡町、一宮町、五色町へと拡大し、ついに島内全沿海市町で行われることになった。1967(昭和42)年度の養殖量は種糸で135,200m、生産量は405,600㎏が見込まれた。ワカメ養殖が島内で急拡大する中、販路の行き詰まりや、生産過剰による価格低下によって、経営的に成り立たなくなることも危惧された。最後に「ワカメはほどほどに」「東浦はノリ養殖へ進むべき」と結ばれている。

県水試が、1978(昭和53)年3月の拓水258号から6回にわたって「ワカメ種糸培養のすすめ」を連載している。兵庫県下でワカメ養殖が始まってから久しいが、多くの養殖業者は種糸を民間の種苗屋などから購入していた。このような種苗は、導入した地域間によって作柄に差が出ることが多かった。これは種苗が一斉配布されるため、地域の沖出しのタイミングが合わなかったり、種の系統が海域の条件に合わなかったりするためであった。そこで、あらためて自家採苗の必要性を示すとともに、季節ごとに具体的な作業を紹介することにしたのである。連載最終の1978(昭和53)年9月発行の拓水264号には、ワカメ種苗生産過程における管理基準が図表にまとめられている(拓水258号~261号、263号、264号)。

2017(平成29)年6月発行の拓水728号に、JF南あわじで2016年から本格的に取り組んだワカメの「フリー配偶体はいぐうたい」の培養の状況について、県洲本農林水産振興事務所が紹介している。JF南あわじは、西日本最大のワカメ生産規模を誇るが、種苗は主に鳴門市内の業者から購入してきた。ところが、近年は温暖化等の影響で、良質な種苗の確保が困難になっていた。そこで、自家採苗を実施することを決め、2016年に県の助成を受けて顕微鏡と培養庫(インキュベーター)を導入し、県水試の指導のもと、初年度は丸山・阿那賀両地区で使用する種苗の3割を自家生産した。

フリー配偶体培養:JF南あわじ
▲フリー配偶体培養:JF南あわじ

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